こうちゃんの Collection Room
このお部屋にはこうちゃんが、集めたもの、手作りしたもの、日々の記録などを紹介しま~す♪ 

紀伊山地霊場御朱印帳と高野七口押印帳

丹生官省符神社で、渋い御朱印帳を見つけました。
それとは別にスタンプ帳も…。
紀伊山地霊場御朱印帳と高野七口押印帳01
「杉の木で出来てる珍しい御朱印帳ですよ」

紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産10周年記念御朱印帳
ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録地である吉野大峯・熊野・高野山の三霊場から成り立つ 紀伊山地三霊場会より、世界遺産登録10周年を記念し御朱印帳を製作致したもの。
御朱印帳は杉材で出来ており、残数40冊ほどです。

とのこと。

限定ものに弱い私(^^;)
スタンプラリーもきらいじゃない(コレクター魂〜)




御朱印、、頑張って集めます!
紀伊山地霊場御朱印帳と高野七口押印帳02

紀伊山地霊場御朱印帳と高野七口押印帳03

紀伊山地霊場御朱印帳と高野七口押印帳04

高野七口押印帳をよく読んだら、全部集めるとなにやら記念品が頂けるらしい。。
う、期間内に集める事が出来るかしら(><)




丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)

慈尊院の境内に入ってすぐ、石段がありました。
実は慈尊院にお参りする前にこちらの方に先参拝しちゃいました。

丹生官省符神社2014-01
石造鳥居
慈尊院のお寺から続く石段を登ると最初に見えるこの鳥居は、明治43年に町内の九度山、入郷、慈尊院の三地区の氏神社、無格社が丹生官省符神社と合祀されたのに伴い、大正10年8月こちらに移されました。
(九度山町のHPより)

丹生官省符神社2014-03
石段は九度山の指定文化財



石段の途中(石の鳥居の右手側)に町石が!
丹生官省符神社2014-02
町石(町石道の道標)
「高野山町石道(ちょういしみち)」は、弘法大師が開創した高野山へ向う七つの道のうち九度山の慈尊院から山上西口の大門に至る参詣道。山上の根本大塔を起点に1町(109m)毎に180町石が建てられ祈りの道、あるいは信仰の道であった。弘法大師が開山のおり木製の卒塔婆を建て道しるべとしたが、朽ちた木製の代わりとして五輪形の町石が鎌倉時代に建て替えられた。
そして、この町石が最終の180町目(ゴールにしてスタート地点)
見落としそうな場所にありました。









 丹生官省符神社2014-04
丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)の朱鳥居
流石、丹(たん)がつくだけあって、朱(あか)が綺麗です!
写真では見えにくいですが「茅の輪(ちのわ)くぐり」が施されていました。




丹生官省符神社2014-05
まずはお手水で清めて
これも見えにくいけど、水口の龍が面白い。






丹生官省符神社2014-08
拝殿



丹生官省符神社2014-09
本殿
※実は拝殿の後ろに本殿がある事に気がつかず、見そびれているの(><)
 この写真はHPからお借りしました。


弘法大師が慈尊院を開創した弘仁7年(816年)、その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社です。社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定されています。神社ができた当時の位置は、現在の渡し場の東にあたる宮の橋の付近であったと考えられています。その後、河北から高野領地となり、官省符21ヶ所村が成立しますと、その総氏神として栄えてきました。慈尊院の弥勒堂が現在の位置に移された際、この神社も一段高い神楽尾山(かぐらおやま)へ移されました。その時、天野神社にならって気比、厳島二神を合わせ祀って四神とし、なお、古くからこの地に鎮座していた天照、八幡、春日の三神を合わせ祀って七社明神としました。

本殿は三殿あって
第一殿
丹生都比売大神 (丹生明神) 天照大御大神の御妹
高野御子大神 (高野明神) 真言密教の守護神 丹生都比売大神の御子 導きの神
天照大御神 (天照大神) 日の神
第二殿
大食都比売大神 (気比明神) 五穀酒造の神
誉田別大神 (八幡大神) 応神天皇に坐して武勇の神
天児屋根大神 (春日大神) 神事祭祀の神
第三殿
市杵島比売大神 (嚴島明神) 福徳寿の神 

多くの氏神社をお祀りしています。とのこと





丹生官省符神社2014-06
拝殿の左横に絵解き看板がありました。
この絵の説明は以下参照
丹生官省符神社のHPより
空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。
猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。此の処は実に天下無双の霊地であり、空海は、此の処を教えくださった猟師は、神さまが姿を猟師に現し、化現狩場明神となり神託として一山を与え下さったものであると想念の内に感得されたのでした。その事を嵯峨天皇に上奏し、天皇は深く感銘され、高野山を空海に下賜されたのでした。
狩場明神の尊い導きにより開山することができた高野山金剛峯寺。仏教・真言密教の布教の基となった狩場明神との運命的な出会い。空海はその思いを政所として慈尊院を開いたとき、参道中央正面上壇に丹生高野明神社(現丹生官省符神社)を創建奉祀され、諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地、即ち神通寺の壇とし、慈氏寺の壇と併せて萬年山慈尊院と称されました。
空海によって創建鎮座爾来、御社号も慈尊院丹生高野明神社、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省符神社と変遷し、県内外を問わず尊崇を受け、官省符荘(荘園)の総社として栄えました。

案内犬ゴンに繋がるお話ですね!!



丹生官省符神社2014-07
喪中とかは一年続くものと思っていたけど、早く開けさせたい時にはここにお祓いに来ればいいのね!
(でもまぁ、どうしても早くに〜っという状態には余りならないと思いますが)





丹生官省符神社2014-10
179町石
丹生官省符神社の右手側の道におりた所で町石がありました。
ここからカウントダウンで登って行けば高野山大塔に行けると云う訳。
いつか町石道を登ってみたい。
標準7時間半かかるらしいので、気合居るなぁ(^^;)








慈尊院(女人高野・結縁寺)

和歌山県橋本市の近くに用事があったので、
以前から行きたいと思っていた寺社に参拝してきました。


第六番 万年山 慈尊院
慈尊院2014-01
所在地: 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院(いとぐん くどやまちょう じそんいん)
開 創:(伝)弘仁7年(816年)、弘法大師(空海)開基
御本尊: 弥勒菩薩(国宝、秘仏) 
      ※慈尊とは、弥勤菩薩の別名で、これより慈尊院と公称している。

慈尊院は、弘法大使(空海)が高野山を開いた時、その麓にあたる参詣の要所として高野山の寺務所を置いた場所。山に登る玄関口だったそうです。
当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。
また、「我が子が開いている山を一目見たい」と、弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でしたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。大師は、月に九度は必ず高野山上より二〇数キロの山道を下って、母公を尋ねられたのでこの地名を九度山と称す。(実際には九度ではなく、それほど多く、との意味)
このことで、女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁、最近では乳癌平癒(病気平癒)などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
平成16年7月、高野山とともに世界遺産に登録されました。




慈尊院2014-02
多宝塔
県の指定文化財。
本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれている。弘法大師の創立。
現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されたもの。




慈尊院2014-03
拝堂
弥勒堂と対面する様に建つ。





慈尊院2014-04
境内にある噴水、蓮の形をしています。





慈尊院2014-05
弘法大師像と案内犬ゴンの碑

ウイキペディアより
ゴン
生物 イヌ(オス)
品種 紀州犬と柴犬の雑種(毛色:白)
生誕 不明
死没 2002年6月5日
和歌山県伊都郡高野町
国籍 日本
高野山の案内犬ゴンは、慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内した犬。
昭和60年代(1985年 - 1988年)に、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある丹生橋の近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬が、やがて慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内するようになった。慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになった。
最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけだったが、1989年(平成元年)頃から慈尊院をねぐらとして、高野山町石道(こうやさん・ちょういしみち)の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。
しかし長く険しい山道を連日のように歩き続けたため、体力的・年齢的にも相当の負担がかかったようで、1992年(平成4年)をもってガイド犬を引退し、その後老衰のため、2002年(平成14年)6月5日午後3時50分に息を引き取った。
約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり(金剛峯寺#開創伝承も参照)、このゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」、「お大師さんの犬」などと呼ばれ親しまれていたこともあって、同年7月23日に慈尊院住職の計らいで境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられた。また、絵と「高野山案内犬ゴンちゃん」と書かれた“ゴンの御守”(おまもり)も御供所に備えられた。2003年には童話として出版されました。





慈尊院2014-07
境内に大きな観音像がありました。
背景にある土壁や石碑も重要文化財




慈尊院2014-08
慈尊院の石碑
 世界遺産登録を記念して建てられたもの。
 平山郁夫氏の筆 実は平山郁夫氏の奥さんは九度山町の出身!




慈尊院2014-11
弥勒堂
国の重要文化財。
お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。
弥勒菩薩座像は21年毎に御開帳されます。で本当なら今年が御開帳の年なのですが、高野山開創1200年行事に合わせて平成27年4月2日~5月21日にかけて御開帳しますとのこと。

※実は前回、この近くで仕事をしていたので「弥勒菩薩座像」見に行ったんですよね!
 人が多くて大変でしたが、しっかりと拝む事が出来ました。




慈尊院2014-09
有吉佐和子「紀ノ川」より
「紀ノ川」が映画化されたとき、この慈尊院へ乳房型の絵馬を奉納するシーンがあったそうです。





慈尊院2014-06
たくさんの絵馬が奉納されています。
私も一筆書いて祈願してきました。




慈尊院2014-12
慈尊院のおみくじ(左)と乳癌平癒の御守り(右)
私は黒犬のおみくじを買いました。底に穴があって中におみくじが入っています。










かいなん夢風鈴まつり2011-その3

私が絵付けしている間、いちごとパパは駅構内でかき氷を食べ、ヨーヨー釣りをしていました。
かいなん夢風鈴祭り2011-06

パパはこのときちょっと頭が痛かったそうで、
あわや熱中症? となりかけたのかも。。
かき氷で一息つけた様です。ヨカッタヨカッタ。






近くにこんな顔出し看板もありました。
かいなん夢風鈴祭り2011-04







こんな感じ
かいなん夢風鈴祭り2011-05
よく見たら、この看板、知り合いの人の作でしたww
 






かいなん夢風鈴まつり2011-その2

漆の風鈴は、職人さんが絵付けしたモノは何と3800円もしました。

別のテントで絵付けの体験コーナーもあったけど、「高いんだろうなぁ」と思ってよ横目でチラチラ見る程度に。

で、海南駅の構内でも何かイベントをしている様なので見に行くと
手作り品販売コーナーや納涼ヨーヨーつり(子供は無料)、かき氷などをしていました。

お店をまわっているとゴンちゃんママから電話が‥‥。
すると
「風鈴の絵付け体験、500円なんだって!
  最後の7個って言ってるから、申し込んだよ」との事。


えええ??
そんなに安いの??

でもいちごは絵を描くのは苦手そうなので、私が体験する事に~。。
 (いや、ホントは私自身がやってみたかったので、(^^;)へへへ。)






それがコレ↓
498KB (1130 x 1762)	 かいなん夢風鈴祭り2011-02
地の色は黒、エンジ、オリーブの3色ありました。
エンジにしたかったけど、もう売り切れ。
黒も良かったけど、細長いのしかなくて、まるっこい形にしたかったのでオリーブにしました。
不思議な色で、漆に見えないよね。
来年もし来れたら、黒にしてみようかな。






家に帰って絵の部分だけ撮り直してみました。
かいなん夢風鈴祭り2011-03
でも難しー。。
光ってなかなか奇麗に撮れないわ。

音はガラスのチリンチリンとする音より、すこし柔らかい感じで素敵ですよ~。


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